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第七章 攻撃性       

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第七章 攻撃性       

投稿 by kusamura on Fri May 22, 2015 3:07 am

第七章 攻撃性 

攻撃性は習慣的に使われている以上に数多くの面を持っている。




 1 攻撃の意味 

単にしっかり立ち止まることであるかもしれない「自己-主張」-
『ここに私は立っている。
 あなたはここまでくることはできるが、それ以上は行けない』
―とは対象的に、
攻撃性は、動き出すことであり、一撃を加えることである。
                                  
(*対象的=訳文ママ)
そのねらいは、自分の自我の利益、あるいは人が献身するもののためになるように、
権力上の変化を惹き起こすことである。
攻撃性とは、権力の再構成を行うため、他人の領域へ動いていく行為である。

この第四のレベル
(*1.無力感-2.自己確信-3.自己主張-4.攻撃は、
個人ないし集団の
-再構成は、自己-確信ないし自己-主張によって生まれ出るものではない-
(*自己確信や自己主張では解決しない)という確信によって生ずる。

おそらく、攻撃者は土地と資産を欲する。
国が戦時中に他国の領地を併合する時やるのと同じことである。
あるいはおそらく、攻撃者は、新しい芸術のように、
変化の中に知的な利害関係を持つのである。
またおそらく、攻撃性は不正に対する憎悪から成長するのである。


攻撃性は、何がしかの権力や威信、
あるいは他者の地位を自分自身のために、または当人が傾倒する観念のために掴もう
という努力から成り立っている。
明白な葛藤の出現してくるその点で攻撃性が出現する。
葛藤は、自己-確認の中でかすかに発見されるけれども、
自己-主張の中でさらにややはっきりと見られるけれども、
それ(*葛藤)は内側へ向けられる。


攻撃的行為はこの葛藤の中である解決にいたろうとする努力である。




kusamura
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投稿 by kusamura on Fri May 22, 2015 3:17 am

1 攻撃性の意味 (2)

攻撃が人びとを恐れさす理由は、そこに力の潜在力が含まれているからである。
攻撃性のなかに潜む力は、
身体的、知的、あるいは精神的な意味でわれわれの生命を奪い去ってしまう。

知的な攻撃は、相手をすり減らす力、とりわけ対人論証(*人身攻撃)
-(相手の特殊な性格、地位、境遇などに訴える論証)-をもった議論と
同じ強制的な性質を帯びているかもしれない。  
その強制は、追放や破門の脅かしのように精神的なものかもしれない。

...未開社会では、タブーを破った罰として「村八分」を宣告された人間は、大地に倒れ、
脈拍は糸のように細り、あえぎはげしく呼吸し、数時間のうちに死んでしまう

進んだ社会においても、
「村八分にすること」は 心理的にも精神的にも攻撃的な行為であって、強力な結果を生む。


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投稿 by kusamura on Fri May 22, 2015 3:18 am

1 攻撃性の意味 (3)

攻撃性(*Aggresion)というコトバのラテン語の語根
 aggredi は「前進すること」「接近すること」を意味し、
第一に、「相談ないし助言のためにだれかに接近すること」
第二に、「逆らって動くこと」あるいは「傷つけるという意図を持って動くこと」
を意味する。つまり、
攻撃はもともと,,自分自身および他人を友好的に確認するなり、敵対的な目的で
接触することである。


攻撃の反対物は、平和を愛することや配慮ないし友情ではなくて、
孤立であり、全然接触を持たない状態である。

それは実際には、つぎのような人の状態である
自分の行ない、あるいは考えていることに対する非難に全然我慢することができず、
最終的には、何らのコメントも聞き容れることもできなくなり、
全面的に他人から孤立してしまうようになる。


 精神療法ではごく頻繁に、患者が否定を表明することがある。
「私にはあなたが私を攻撃しているのがわかる。私にはそれが耐えられない…」
 あるいは治療者が
「君の言うことは私を怒らせる。なぜだか考えてみよう」 と言う場合もある。
両者は、一緒になって、どのような敏感な箇所に打撃が加えられているかを
探検することができるのである。
,,こうした側面を切り抜けられたとき,,両者が他者を新しくより深く理解するようになる。

 攻撃性の建設的な形には、
関係を始めるために障害者を切り離すことがふくまれる。(*たとえば入院・隔離)
それは、傷つけるという意図ではなく、
他人の意識の中に入ってゆくという意図をもって、他人に直面することであり、
ある人間の誠実さを脅かすような力を避けることであり、
敵対的な環境の中で、当人の自我や思想を具体化することであり、
治癒への障害を克服することである。

 求愛と戦いは、人間の場合、神経生理学的にきわめて似ている。
アンソニー・ストールが指摘しているように、恋人同士のけんかは、
しばしば性的な交わりで終わりを告げる。
  (原註)(anthony storr“Human aggression”1968)
 『私は“The Meaning of Anxiety”(1950)の中で、
  セックスの営みのときの内分泌物と戦闘の際の内分泌物との間には
  ある類似性がある
ことを指摘しておいた。アルフレッド.C.キンゼイもまた、
  性的な誘発(sexual arousal)と攻撃的な誘発の中に等しく認められる
  十四の生理学的変化のあることを指摘している。
 (“Sexual Behavior in the Human Female”1953)(*キンゼイ「女性の性行動」) 』

戦う者と愛する者とのあいだには奇妙な関係がある。
,,戦う行為の中には、生き生きとした親密さ、
憎悪と愛の相方の性質を帯びた近しさ、があるのである。
(*相方=訳文ママ)
その親密さは、憎悪によって引き裂かれるものではあるが、
しかし親密さであることには変わりない。
そしてそれは、愛情
(affeciton)ないし愛へと開花することが
できるのである。



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投稿 by kusamura on Fri May 22, 2015 3:19 am

1 攻撃性の意味 (4)

攻撃性の持っているネガティブな側面は、
,,それは本質的には、他人を傷つけあるいは苦痛を与えようとの
意図をもって他者と接触することから成り立っている。
そして、
当人の自己防衛のためあるいは単に自らの権力増大のために、
他人から権力を取り上げることである。

実際にわれわれの行ういっさいは、
攻撃の積極的な形態と否定的形態とがミックスしたものである。



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Re: 第七章 攻撃性       

投稿 by kusamura on Fri May 22, 2015 3:21 am



 2 攻撃性の諸相


ここでわれわれは,,,多くの金をつくるため、くじ引きの危険をおかす取引
という意味での「攻撃的な商取引」のことについて述べてみよう。

株式市場で通常うまくゆくのは、攻撃的なブローカーであり、
株を処理する攻撃的な方法である。われわれが攻撃的な政策に従うことは、
一般に、実業界では歓迎される。つまり、こうした人物は、きびきびしていて、
何がしかの地位を得るよう計画を立てることを示す者として歓迎される。
起訴ケースを弁護してくれる攻撃的な法律家をかかえておくことはよいことである。
というのはその人は、どうすれば法律上の相手を不利な立場に置けるかを
知っているからである。

たいていの攻撃は、間接的なもので、他人のひそかにやりこめる
(put-down)
という形をとる。

これは精神療法の際には、礼儀正しい友好的な協力という外観のもとであらわれる。
患者は「正直」でなければならぬと言い、それからつぎつぎと
あら探し(fault findings)のコトバを投げかけるであろう。
このあら探しは、治癒者の仕事ぶりからその治癒者の家族や仕事場にまで及ぶ。
 先手を打つテクニックは、あらゆる人びとの間の日常会話で、
とりわけ結婚した両人の間で進んでいる。こうしたテクニックは、
その「犠牲になっている当人」にはわかっていないが、他のだれにも明かな方法で、
果てることのない[優越感-劣等感の戦い]の形をとるのである。
(*これらの)間接的な攻撃は形の攻撃はほどんどつねに破壊的であって、
その中に私はなんらよいものを見ることはできない。

もう一つ別の攻撃がある
―それは自我内部(within the self)の攻撃であるか、あるいは一般に
自我に逆らうものとしてその人物によって体験されるような攻撃性である。

私は執筆するため、
,,散漫な思考を奮い立たせ、自分の心を開いて、
どんな洞察がやってきてもそれを受け容れるようにし、
そのトピックを熟考するのである。
私は、自分自身の中の反抗的な部分を奮い立たせる。
即ち私は、内面的に「戦い」をさがし求める。
 すると、
創造的な力やビジョンがこうした戦いから出てくるのがわかる。

私はデーモン的なものを呼び起こす―それが呼び起こせる限りにおいて。
何か、あるはっきりした思想や洞察が湧いてくるまで続くこの
心の内の乱闘(melee)は、実際には、
私自身の自我が、人間の生命や問題をあらたに把握するため、
習慣的な観念やものの見方をもぎとっているのである。
それこそデーモン的なものがその十全な力を発揮している姿である。


 一切の芸術は、ある意味で攻撃的なものである。
,,彼らは、自らの中できわめて重要な戦いをしている人たちであり、
キャンパスやタイプライターその他の芸術メディアでもって戦っているとも言える。
,,ロバート・マザーウェルやフランツ・クライン,,
キャンパスの上を横切るように黒い形のものを書き散らし,,何か大きなものが,,
引きちぎられているかのように,,互いに衝突し合っている力が緊張して、
今にも引き裂かれんばかりになっている。
 アーネスト・ヘミングウェイは,,戦闘態勢に入るにも似た状態で
小説を書く用意を整えるのだと述べていた。


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Re: 第七章 攻撃性       

投稿 by kusamura on Fri May 22, 2015 3:23 am



 3 攻撃性の心理学 (1)フロイト


フロイトの攻撃は、個人の性的発達のあらわれの一部であって、
口唇的攻撃、肛門的攻撃、エディプス的攻撃の形をとる。
(*ロロ・メイは性欲動=攻撃と置き換えているものと思われる)
,,その後1920年代中頃にあらわれるフロイトの第二理論はエゴ理論である。
『エゴは、苦痛の根源である一切の対象を破壊しようとの意図をもって、
 憎悪し、嫌悪し、追跡する』(「ドラに見られる“本能とその変遷”」)

第一次世界大戦はフロイトをして、
破壊性というものにより深刻な形で直面するよう強いることになった。
即ち、何百万人という人びとが自分の仲間を殺し、国々は自殺行為を行った。
 フロイトが熟考のうえ出てきたものは
「死の本能」という奇妙な真理・哲学的な理論である。
フロイトがこれを公式化して、公にしたのは六十四歳のときであったが、
そのねらいは、自分自身ならびに他人に向ける、人間の広範な残酷性の現実を
直接扱おうとするものであった。
 たいていの精神分析家はこの理論を受け容れがたいものと見ていたが、それには
そのもっとも基本的なレベルで攻撃性というテーマに直面できる効果がある。

それはまた、攻撃は、
第一義的には、自らの自我に向けられたものであるという事実、
即ち自分は究極的には死ぬ者であるという事実を強調しているのである。
したがって、攻撃はこの自己-破壊を避けるために、
他の外なる対象に向けられねばならぬという事実も強調する。
死の本能というのはメタファー(隠喩)であって、全てそのままというのではないが、
しかしそれは、無視されない重要な真理の一部をなしている。
フロイト理論が述べようとしている一つの意味は、
抑うつ状態は、しばしば「抑圧されたものの回帰」、すなわち
直面することのない攻撃的傾向の間接的な表現であることにある。

 (*しかし)フロイトの攻撃理論はわれわれを満足させてくれない)


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投稿 by kusamura on Fri May 22, 2015 3:26 am



 3 攻撃性の心理学 (2)


エール大学の大学院に学ぶ若い才能ある仲間の人たちは、1937年に
フラストレーションと攻撃性」という有名な研究論文を出した。..
攻撃性はつねにフラストレーションの結果であり、
フラストレーションのあるところにはどこでも攻撃性が表れてくる、という考えである。

彼らの理論の欠点は、実際にはアメリカの理論全部に見られるように
暗々裏に一切の攻撃性はネガティブなものであると仮定していることにあり、
いつかフラストレーションのない社会を構成しようとするとき、
攻撃性はそこには全然なくなるであろう、と述べていることにある。

 攻撃性-アルフレッド・アドラーがもともと「権力への意志」と呼んだもの-は
人間生活において基本的なものである、と最初に主張した栄誉はアドラーに属する。

小人であるアドラーは、ナポレオンの如き小人はすべて補償的な意味で
権力への衝動を発展させる、となかば冗談めいた表現をするのが好きであった。
アドラーは、文明というものは自然に対抗させて
自分の権力を増大させたいという人間の欲求から生ずる、と信じていた。

彼は、ウィーンの貧民街で育ち、生涯にわたって、立場のはっきりした社会主義者であった。
このことは、彼の後の著作を傷つけることになるきわめて単純は完璧主義
(perfectionism)
大いにかかわりのあることである。
そのことは、彼が「権力への意志」というコトバを
「優越衝動」それに「完璧衝動」へと変更していることにとくにあらわれている。
アドラーは、
私には、権力理論と解き難く関連していると思われる ’悲劇的’な人生観 を見落としている。


コンラッド・ローレンツの攻撃性研究は、本質的には生物学的なものであって、
たいていの生物学的なアプローチの持っている長所と欠点とを兼ね備えている。
彼の研究は(ローレンツはそうは言っていないという事実にも関わらず)多くの人によって
戦争の根本的な理由づけとして読まれている。
重要な点は,,人間はシンボルを創造し、その上に文化を基礎づける(例えば旗と愛国心)
われわれが人を殺すのは、必然からではなくて、旗とか祖国とかいったような
シンボルへの忠誠の義務からである。
われわれは主義にのっとって
(on pinciple)殺すのである。

かくてわれわれの攻撃は、動物とは違ったレベルで起こるのであり、
この明らかに人間形態の攻撃について、
動物から学びうるところは僅かである。




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Re: 第七章 攻撃性       

投稿 by kusamura on Fri May 22, 2015 3:38 am



 4 破壊的攻撃性


われわれは一般に、攻撃性というものについてそれを破壊的である考えているので
簡単な個人的な例示ですませておきたい。

私は「アメリカ電信電話会社 ATT」の若手経営陣の協議会で話す機会があった。
,,私の話は、奇妙な目に見えない障害にぶち当たった。
,,休み時間に気づいたが,,彼らの研修にこれ(私の話)が課せられている理由は、
 これら若い経営陣が、攻撃的になるよう訓練すること、提出される論議に
 どれほど彼らが適切に「欠点を見つけ出す」ことができるかを採点するために
,,(*話を)依頼してきていたということである。
,,これは、話し手を「やり込める」ように仕組まれ
,,その攻撃性には重大な競争上の報酬、
 つまり高い職務への昇進がついていたのである。


これは非コミュニケーションの一例である。即ち、
自分の考えに少なくとも耳を傾けられるであろうと感ずることなしには、
自分の考えを表出することはできない。
これは自分の考えが聞き手に同意してもらえるであろうという意味ではない。
そうした考え自身の持っている価値によって耳を傾けてもらえる
ということを意味する。

..聴衆の目的について知っていたならば、私は
攻撃に対する私の話の全テーマ、その目的、効果を変えることができたであろう。
そのとき、われわれは少なくともコミュニケーションを行っていたであろう。




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Re: 第七章 攻撃性       

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