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ペラン神父 「神をまちのぞむ」序文(ヴェイユへの反論部分のみ)

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ペラン神父 「神をまちのぞむ」序文(ヴェイユへの反論部分のみ)

投稿 by kusamura on Tue Jul 14, 2015 4:47 pm



ジャン=マリー・ペラン(joseph-marie-perrin、1905年 - 2002年) ヴェイユの4才年上。11才の時に視力を失う。1922年、ドミニコ会修道院に入り,
1929年司祭となる。(詳細は ” http://www.ajpn.org/juste-Joseph-Marie-Perrin-2183.html ”、” http://web.cathol.lu/990/mouvements/caritas-christi/article/pere-joseph-marie-perrin-op " など)

「神を待ちぞむ」シモーヌ・ヴェーユ著作集 春秋社 ハードカヴァー(1967年)絶版(現在は新装文庫版-出版社頁によると残部僅少)  

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最終編集者 kusamura [ Fri Jul 31, 2015 11:52 pm ], 編集回数 3 回

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Re: ペラン神父 「神をまちのぞむ」序文(ヴェイユへの反論部分のみ)

投稿 by kusamura on Wed Jul 15, 2015 1:48 am




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イスラエル問題

投稿 by kusamura on Wed Jul 15, 2015 2:38 am



【参考】
ヴェイユが35ヶ条の1で上げているのはサムエル書である。(口語訳聖書_http://bible.salterrae.net/kougo/html/1samuel.html)

15:2万軍の主は、こう仰せられる、『わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルがエジプトから上ってきた時、
その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。 15:3今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。
男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ
』」。

15:4サウルは民を呼び集め、テライムで人数を調べたところ、歩兵は二十万、ユダの人は一万であった。 15:5そしてサウルはアマレクの町へ行って、谷に兵を伏せた。 15:6サウルはケニびとに言った、「さあ、あなたがたはアマレクびとを離れて、下っていってください。彼らと一緒にあなたがたを滅ぼすようなことがあってはならない。あなたがたは、イスラエルの人々がエジプトから上ってきた時、親切にしてくれたのですから」。そこでケニびとはアマレクびとを離れて行った。 15:7サウルはアマレクびとを撃って、ハビラからエジプトの東にあるシュルにまで及んだ。 15:8そしてアマレクびとの王アガグをいけどり、つるぎをもってその民をことごとく滅ぼした。 15:9しかしサウルと民はアガグをゆるし、また羊と牛の最も良いもの、肥えたものならびに小羊と、すべての良いものを残し、それらを滅ぼし尽すことを好まず、ただ値うちのない、つまらない物を滅ぼし尽した。

15:10その時、主の言葉がサムエルに臨んだ、 15:11「わたしはサウルを王としたことを悔いる。彼がそむいて、わたしに従わず、わたしの言葉を行わなかったからである」。
サムエルは怒って、夜通し、主に呼ばわった。 15:12そして朝サウルに会うため、早く起きたが、サムエルに告げる人があった、「サウルはカルメルにきて、自分のために戦勝記念碑を建て、身をかえして進み、ギルガルへ下って行きました」。 15:13サムエルがサウルのもとへ来ると、サウルは彼に言った、「どうぞ、主があなたを祝福されますように。わたしは主の言葉を実行しました」。 15:14サムエルは言った、「それならば、わたしの耳にはいる、この羊の声と、わたしの聞く牛の声は、いったい、なんですか」。 15:15サウルは言った、「人々がアマレクびとの所から引いてきたのです。民は、あなたの神、主にささげるために、羊と牛の最も良いものを残したのです。そのほかは、われわれが滅ぼし尽しました」。 15:16サムエルはサウルに言った、「おやめなさい。昨夜、主がわたしに言われたことを、あなたに告げましょう」。サウルは彼に言った、「言ってください」。
15:17サムエルは言った、「たとい、自分では小さいと思っても、あなたはイスラエルの諸部族の長ではありませんか。主はあなたに油を注いでイスラエルの王とされた。 15:18そして主はあなたに使命を授け、つかわして言われた、『行って、罪びとなるアマレクびとを滅ぼし尽せ。彼らを皆殺しにするまで戦え』。 15:19それであるのに、どうしてあなたは主の声に聞き従わないで、ぶんどり物にとびかかり、主の目の前に悪をおこなったのですか」。 15:20サウルはサムエルに言った、「わたしは主の声に聞き従い、主がつかわされた使命を帯びて行き、アマレクの王アガグを連れてきて、アマレクびとを滅ぼし尽しました。 15:21しかし民は滅ぼし尽すべきもののうち最も良いものを、ギルガルで、あなたの神、主にささげるため、ぶんどり物のうちから羊と牛を取りました」。 15:22サムエルは言った、
「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しい
からである。
あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。
15:24サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。
15:25どうぞ、今わたしの罪をゆるし、わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください」。 15:26サムエルはサウルに言った、
「あなたと一緒に帰りません。あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられたからです」。
15:27こうしてサムエルが去ろうとして身をかえした時、サウルがサムエルの上着のすそを捕えたので、それは裂けた。 15:28サムエルは彼に言った、
「主はきょう、あなたからイスラエルの王国を裂き、もっと良いあなたの隣人に与えられた。
15:29またイスラエルの栄光は偽ることもなく、悔いることもない。彼は人ではないから悔いることはない」。

15:30サウルは言った、「わたしは罪を犯しましたが、どうぞ、民の長老たち、およびイスラエルの前で、わたしを尊び、わたしと一緒に帰って、あなたの神、主を拝ませてください」。 15:31そこでサムエルはサウルのあとについて帰った。そしてサウルは主を拝んだ。15:32時にサムエルは言った、「わたしの所にアマレクびとの王アガグを引いてきなさい」。
アガグはうれしそうにサムエルの所にきた。アガグは「死の苦しみはきっと過ぎ去ったのだ」と思った。 15:33サムエルは言った、「あなたのつるぎは多くの女に子供を失わせた。そのようにあなたの母も女のうちで最も無惨に子供を失う者となるであろう」。サムエルはギルガルで主の前に、アガグを寸断した。
15:34そしてサムエルはラマに行き、サウルは故郷のギベアに上って、その家に帰った。
15:35サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルを見なかった。しかしサムエルはサウルのために悲しんだ。また主はサウルをイスラエルの王としたことを悔いられた。 
 

 虐殺を命じるエホバ(ヤハウェ) 

 『申命記』第3章
3:2時にヱホバわれに言たまひけらく 
  彼を懼(おそ)るるなかれ。我、かれとその一切の民とその地とを汝の手に付さん
  汝、かのヘシボンに住たるアモリ人の王シホンになせし如く彼に爲(なす)べしと
3:3我らの神ヱホバ すなはちバシヤンの王オグとその一切の民を我らの手に付したまひしかば
我ら之(これ)を撃ころして一人をも遺さざりき
3:4その時に我ら これが邑々(まちまち)をことごとく取(れ)り (略)
3:6我らは ヘシボンの王シホンになせし如く 之を滅し
  その一切の邑(まち)の男女および兒童をことごとく滅せり
3:7惟(ただ)その一切の家畜とその邑々よりの掠取物(ぶんどりもの)とは これを獲(え)て われらの物となせり

第7章
7:1-2 汝の神ヱホバ 汝が往(ゆき)て獲(う)べきところの地に汝を導きいり
    多の國々の民 ヘテ人ギルガシ人アモリ人カナン人ペリジ人ヒビ人ヱブス人など
    汝よりも數多くして 力ある七の民を 汝の前より逐はらひたまはん時
    すなはち汝の神ヱホバ 
     かれらを汝に付(わた)して 汝にこれを撃せたまはん時は 汝かれらをことごとく滅すべし
    彼らと何の契約をもなすべからず 彼らを憫むべからず
7:3 また彼らと婚姻をなすべからず 汝の女子(むすめ)を彼の男子(むすこ)に與(あた)ふべからず
   彼の女子(むすめ)を汝の男子(むすこ)に娶るべからず
7:4 其(そ)は 彼ら汝の男子を惑はして 我を離れしめ 之をして 他の神々に事へしむるありて 
   ヱホバこれがために 汝らにむかひて怒(いかり)を發し 俄然(にわか)に汝を滅したまふにいたるべければなり
7:5 汝らは反(かへっ)て斯(かく)かれらに行ふべし
   即ち かれらの壇を毀(こぼ)ち その偶像を打擢(うちくだ)き そのアシラ像を斫(きり)たふし 火をもてその雕像を焚(やく)べし
7:9 汝知(しる)べし 汝の神ヱホバは神にましまし 眞實の神にましまして之を愛し 
   その誡命を守る者には 契約を保ち恩惠(めぐみ)をほどこして千代(せんだい)にいたり
7:10  また之を惡む者には覿面(てきめん)にその報(むくい)をなして これを滅ぼしたまふ  ヱホバは己を惡む者には緩(ゆるやか)ならず 覿面にこれに報いたまふなり
7:18 汝かれらを懼るるなかれ 汝の神ヱホバがパロとエジプトに爲たまひしところの事を善く憶えよ  (略)
7:19 汝の神ヱホバまた 汝が懼るる一切の民に爲たまふべし
7:20 即ち 汝の神ヱホバ 黄蜂(くまばち)を彼らの中に遣(おく)りて終(つい)に彼らの遺(のこ)れる者と 汝の面を避て匿れたる者とを滅したまはん (略)
7:23 汝の神ヱホバ かれらを汝に付(わた)し 大にこれを惶(おそ)れ慄(おのの)かしめて 終に これを滅し盡(つく)し
7:24 彼らの王等を 汝の手に付したまはん 汝かれらの名を天が下より削るべし 汝には當ることを得る者なくして 汝つひに 之を滅ぼし盡すに至らん
7:25 汝かれらの神の雕像を火にて焚(やく)べし

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(9章、12章、にも同様の記述が散見。 
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第20章 
20:1 汝その敵と戰はんとて出るに當り馬と車を見また汝よりも數多き民を見るもこれに懼るる勿れ
20:10 汝ある邑(まち)に進みゆきて之を攻んとする時は 先(まづ)これに平穩(おだやか)に降ることを勸(すす)むべし
20:11 その邑もし平穩に降らんと答へて その門を汝に開かば 其處なる民をして都(すべ)て汝に貢(みつぎ)を納(いれ)しめ 汝に事(つか)へしむべし
20:12 其(それ)もし平穩に汝に降ることを肯(がへ)んぜずして 汝と戰かはんとせば汝これを攻(せむ)べし
20:13 而(しか)して汝の神ヱホバ これを 汝の手に付(わた)したまふに至らば 刃をもてその中の男を盡(ことごと)く撃殺(うちころ)すべし   
20:14 惟(ただ)その婦女嬰孩家畜(をんなこどもかちく)および凡(すべ)てその邑(まち)の中にて 汝が奪ひ獲たる物は 盡く己(おのれ)に取(とる)べし
   抑(そもそも) 汝が その敵より奪ひ獲たる物は 汝の神ヱホバの 汝に賜ふ者なれば汝これをもて樂(たのし)むべし
20:15 汝を離るることの遠き邑々 すなはち是等(これら)の國々(くにぐに)に屬せざるところの邑々には凡(すべ)てかくのごとく行なふべし
20:16 但し汝の神ヱホバの 汝に與へて ?業となさしめたまふこの國々の邑々においては呼吸する者を一人も生し存べからず
20:17 即ちヘテ人 アモリ人 カナン人 ペリジ人 ヒビ人 ヱブス人などは汝かならずこれを滅ぼし盡して汝の神ヱホバの汝に命じたまへる如くすべし
20:18 斯(かく)するは 彼らがその神々にむかひて行ふところの憎むべき事を 汝らに敎へて 之を倣(なら)ひおこなはしめ 
    汝らをして 汝らの神ヱホバに罪を獲(え)せしむる事のなからんためなり

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ペラン神父が ギリシア人の虐殺 と呼ぶものが何を指すのか不明だが、とりあえず、神が人に害をなす箇所
                                (神々の戦いは除く(神統記)神の問題なので歴史書も除く。)
【ギリシア神話集】アポロドーロス。訳:高津春繁(「ギリシア神話集」-世界文学全集 2-筑摩書房)
                          (少ないので、神だけではなく「王」も含めた)

・その地の年々の初穂を八百万(やおよろず)の神々に捧げるにあたって、オウネウスがアルテミスだけを失念した。
 女神は怒ってすばらしく大きくて強い猪を遣わした。その猪は土地に種を播くことができぬようにし、家畜や出会う人々を殺した。 (p.47)

・その地の王は、ポセイドーンとビーテューニアーの女との子アミュコスであった。彼は人にすぐれた男であって、
 この地に立ち寄る外国人に強いて拳闘を行わせ、このようにして殺していた。そこでそのときもアルゴーにやって来て
 彼らの中の選手と拳闘を行うことを挑んだ。ポリュデウケースが彼と拳闘することになり、その肘を打って殺した。
 ベプリュクス人らが彼に殺到するや、首領たちは武器を取って多くの逃げる者どもを殺戮した。  (p.55)

・アミューモーネーはポセイドーンから一子ナウブリオスを生んだ。彼は長命であって、海を航しては出会う人々を烽火の火によって死に導いた
 そこで彼自身もまたそれと同じ死に方をするにいたった。  (p.64)

・イオバテースは彼(*ベレロポンテース)にソリュモイ人と戦うことを命じた。これをも果たしたときにアマゾーンたちと戦うことを命じた。
 これらすべての者を殺してしまったときに、彼の力に驚いてイオバテースは手紙を示し、彼の所に留まるように頼んだ。(p.66)



最終編集者 kusamura [ Wed Jul 22, 2015 10:54 pm ], 編集回数 6 回

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2.古代宗教への愛。

投稿 by kusamura on Fri Jul 17, 2015 9:55 am



【参考】(wikipedia 出典略)

ユスティノスギリシア語: Ιουστίνος, 英語: Justin、100年? - 162年?):
紀元2世紀のキリスト教神学者。ギリシア教父の系統に属し、「護教教父」といわれる最初期のキリスト教神学者の一人。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会で聖人として崇敬される。
 =生涯と思想=
自身の著述によれば、ユスティノスはサマリア(イスラエルの北方)のフラウィア・ネアポリス(現在のパレスチナ自治区のナーブルス)出身。父はプリスクスという名であった。アテネ・ローマに学び、さまざまな哲学諸派をへてキリスト教にたどりつき、エフェソスで洗礼を受けた。当時盛んだったグノーシス主義を「キリスト教の正当な信仰をゆがめるもの」として激しく批判した。アントニウス・ピウス帝の時代にローマへ赴き、そこでキリスト教を広める私塾を開いた。論破した哲学者の陰謀で捕えられ、ローマで殉教したと伝えられる。そのため「殉教者ユスティノス」と呼ばれることもある。
ユスティノスの思想の特徴は、キリスト教徒として初めてギリシア思想とキリスト教思想を融合しようとしたことにある。具体的には当時のギリシア哲学の用語であった「ロゴス」をキリスト教思想に取り入れている。ユスティノスに先立ちアレクサンドリアのフィロンもユダヤ教徒としてユダヤ教思想にロゴスを取り入れ、「神はロゴスを通して自らを表す」と唱えたが、ユスティノスはフィロンと異なり、キリスト教徒としてイエス・キリストこそが完全なロゴスであると考えた。イエスは「普遍的・神的ロゴス、純粋知性、完全な真理」であるとユスティノスはいっている。
彼の著作に見られるスタイルは、ギリシア人に対してキリスト教思想を解説し、誤解や偏見をなくそうとする姿勢(これが護教論的といわれる)が根本にあり、当時の一般的なキリスト教観と対話する形をとっている。
さまざまな哲学諸派を遍歴し、プラトン哲学を自らの思想的土台とした彼は「人間の魂は本質的にキリスト教的なものである」として、キリスト教こそが唯一の真理であると考えた。そして古代の哲学はその真理にいたる前段階であると考え、それらの中に断片的に真理が存在するのは、その中にある「種子的ロゴス」のせいであると考えた。これを「種子的ロゴス論」という。

アレクサンドリアのクレメンス
ティトゥス・フラウィウス・クレメンス(Titus Flavius Clemens,150年?-215年?)、あるいはアレクサンドリアのクレメンスは2世紀の人物で、初期キリスト教を代表する神学者の一人。エジプトのアレクサンドリアで活躍したため、この名で呼ばれるがエジプト出身ではなく、ギリシアのアテナイの出身と考えられている。
 =思想的特徴
クレメンスの思想の特徴は、ギリシア哲学と文学がキリスト教へ人々を導くために存在したと考え、その思想的な遺産をキリスト教へ継承しようとしたことにある。これはプラトンとギリシア思想に精通したクレメンスならではの発想であり、特にロゴス=キリストであるとした「ロゴス・キリスト論」は、ギリシア思想とキリスト教神学を結びつけ、以降のキリスト教神学の発展に大きな貢献をするものとなった。


最終編集者 kusamura [ Fri Jul 17, 2015 11:20 am ], 編集回数 1 回

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3.教会の問題

投稿 by kusamura on Fri Jul 17, 2015 10:16 am





[参考] (wikipedia 一部変。 出典全て省略)

ジャック・マリタン(Jacques Maritain、1882年11月18日 - 1973年4月28日):
フランスの哲学者。新トマス主義者。 (カトリック教徒)
==人物==
1882年パリに生まれる。ソルボンヌ大学で自然科学を学び、当時は唯物論者であったが、後にアンリ・ベルクソンの形而上学の講義を聴講し、影響を受け、個人的にも親交を深めた。その後はその影響を抜け、1906年カトリックに入信した。妻のライサ・マリタンも哲学者でカトリック教徒 。
1913年パリ・カトリック大学教授。1945年にはバチカン市国大使も勤めた。著書は、法律や教育や芸術など多分野にわたっている。法、政治、経済における自らの実践的な問題に関する立場を「政治的ヒューマニズム」と称し、近代の生んだ理性主義、不可知論、個人主義、無神論を批判した上で、共通善に基づく政治を追求しようとした。その思想は、雑誌:エスプリを創刊したエマニュエル・ムーニエをはじめ、多くのカトリックの知識人に影響を与えた。
キリスト教的哲学論争では、これを肯定する立場からエティエンヌ・ジルソンと共に、エミール・ブレイエらと対立した。 1973年4月28日トゥルーズで死去。

新トマス主義(Neo-Thomism ):
19世紀後半にローマ教皇レオ13世の回勅『天使的博士・聖トマスアクィナスの精神に基づくキリスト教的哲学の復興』(エテルニ・パトリス)をきっかけに起きた、トマス・アクィナスの神学・哲学を現代に復活させる思想ないし運動をいう。広い意味でのトマス主義であるが、スコトゥス主義に対する狭義のトマス主義と区別する意味で新トマス主義ないし新スコラ主義と呼ばれることが多い。ネオ・トミズムとも。
カトリック信仰を前提とし、哲学を神学の下位におき、法と民主主義を遵守して生活することを旨とする。その影響は広汎で、学問の分野を問わず、世界各国にも及んでいる。代表的な論者にフランスのエティエンヌ・ジルソン、ジャック・マリタンがいる。人間の本性に即して理性的に社会制度の長所・問題点を検討するという自然法に基づく方法論は、シュライバーの『トマス以降のスコラ経済学』、クールマンの『トマスの法学における権利に関する法概念』、オットー・シリンクの『トマスの国家・社会教説』、リンヒャルトの『聖トマスの社会諸原理』などに結実している。
日本では、遠藤周作、田中耕太郎、星野英一らが影響を受けている。

トマス・アクィナス(羅: Thomas Aquinas, 1225年頃 - 1274年3月7日):
中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者。シチリア王国出身。ドミニコ会士。『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者である。カトリック教会と聖公会では聖人、カトリック教会の33人の教会博士のうちの1人。
==思想== 概要
トマスの最大の業績は、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学を統合した総合的な体系を構築したことである。かつてはトマスは単なるアリストテレス主義者にすぎないという見方もあったが、最近の研究ではそのような見方は否定されている。
全体的にみれば、トマスは、アウグスティヌス以来のネオプラトニズムの影響を残しつつも、哲学における軸足をプラトンからアリストテレスへと移した上で、神学と哲学の関係を整理し、神中心主義と人間中心主義という相対立する概念のほとんど不可能ともいえる統合を図ったといえる。

トマス主義 :
トマスの直接の弟子には、トマスの思想を真に理解する継承者はおらず、死後わずか3年の1277年にトマスの思想の一部がカンタベリー大司教キルワービーによって公式に異端として非難されるようになった。
1279年にはフランシスコ会士のウィリアム・ド・ラ・マールによって批判されたが、ドミニコ会は、トマスの教説を修道会の公式教説として擁護し、研究・普及に尽力するようになった。トマスに対する異端の嫌疑が解かれたのは、死後50年後の列聖を待たなければならなかった。
その後、トマス派とヨハネス・ドゥンス・スコトゥスを奉じるスコトゥス派は対立して長らく論争を繰り広げたが、やがてオッカム派の唯名論が台頭すると、スコラ学は崩壊した。
16世紀になると、スペインのサラマンカ大学を中心にドミニコ会士のフランシスコ・デ・ビトリアらの研究をきっかけに復興の兆しを見せ、ドミンゴ・バニェスは、イエズス会のルイス・デ・モリナと神の「恩寵」(gratia)と人間の自由意思をめぐる関係についての「恩寵論争」(恩恵論争)を行なった。やがてイエズス会士のフランシスコ・スアレスの手によって大きな発展を見て、トマスの学説を中心に総合的に体系化し、神学・哲学・法学にわたって大きな影響を与えた。彼らは「後期スコラ学」あるいはサラマンカ学派と称された。
1545年にトリエント公会議が開かれると、聖書と教令集とともに、トマスの神学大全がいつでも参照できるように開かれたまま祭壇上に置かれ、宗教改革に対する「反対改革」の流れの中で、トマスを再評価する動きが大きくなっていった。
デカルト、ロックなどに代表される近代哲学が発展をみると、トミズムはまたもや衰退し、18世紀には急激に衰えた。
19世紀末になると、新トマス主義と呼ばれる復興運動が起り、近代哲学の成果を取り込みつつも、現代的問題の解決にあたるという研究が始まった。
現代では、科学や現象学などの成果を取り込んだ独自の発展を見ている研究も数多い。

----------------------ペラン神父はドミニコ会の司祭である----------------------------

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Re: ペラン神父 「神をまちのぞむ」序文(ヴェイユへの反論部分のみ)

投稿 by kusamura on Fri Jul 17, 2015 1:30 pm








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Re: ペラン神父 「神をまちのぞむ」序文(ヴェイユへの反論部分のみ)

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