唯時間「論」について
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唯時間「論」について
2013-12-08 18:27:02
これらの思索は、イスラム圏に保存されていた古代ギリシアの思索が、ルネッサンスによってヨーロッパに伝わり、それまでいわゆる中世の闇に眠っていたヨーロッパ圏で再構されていった形而上学・観念論的あるいは論理学的哲学とは接続しない。
どちらかというと、ソクラテス以前の古代ギリシア哲学的な「自然哲学」と接続したかった。
しかし、ある時期からそのような「位置づけ」にはまったく興味がなくなった。
これらの、時間に対する思考・思索・観想は、結局「イメージ」に収斂していくような気がする。
したがってこれらを現在どういうカテゴリー内での思考行為であるかと自ら考えるに、
これらは「イメージ哲学」とでも称するほかないような気がしている。
時間に関する思索をすでに十数年続けていることになるが、
(90年代後半~)
これらの思索は、全く個人的なものであって学問や宗教との接続を目指しているわけではない。
ただ、「時間」に興味を持っている人間にとっては
それまであまり聞いたことがない珍しい発想も含まれている感じられるのではないかと思う。
唯時間フォーラム各トピックの巻頭は、二〇〇三年頃にアップしたHPの写しである。
それから10年近く経っていて、いくらか考えに変化があったり、すこし進展したなと思うこともある。
それらについては、おいおい各トピックの返信欄に追加していく予定である。
これらの思索は、イスラム圏に保存されていた古代ギリシアの思索が、ルネッサンスによってヨーロッパに伝わり、それまでいわゆる中世の闇に眠っていたヨーロッパ圏で再構されていった形而上学・観念論的あるいは論理学的哲学とは接続しない。
どちらかというと、ソクラテス以前の古代ギリシア哲学的な「自然哲学」と接続したかった。
しかし、ある時期からそのような「位置づけ」にはまったく興味がなくなった。
これらの、時間に対する思考・思索・観想は、結局「イメージ」に収斂していくような気がする。
したがってこれらを現在どういうカテゴリー内での思考行為であるかと自ら考えるに、
これらは「イメージ哲学」とでも称するほかないような気がしている。
時間に関する思索をすでに十数年続けていることになるが、
(90年代後半~)
これらの思索は、全く個人的なものであって学問や宗教との接続を目指しているわけではない。
ただ、「時間」に興味を持っている人間にとっては
それまであまり聞いたことがない珍しい発想も含まれている感じられるのではないかと思う。
唯時間フォーラム各トピックの巻頭は、二〇〇三年頃にアップしたHPの写しである。
それから10年近く経っていて、いくらか考えに変化があったり、すこし進展したなと思うこともある。
それらについては、おいおい各トピックの返信欄に追加していく予定である。
xronos- Admin
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