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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児

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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty (第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:22 am



                       (一)



  フロイトが見つけだしたところでは、
あるゆる精神神経症のただひとつ変わらぬ源泉があるとすれば、
性の欲動のエネルギーで、
その流れの異常が症候を形づくることになる。

そして
あらゆる精神神経症には例外なく
無意識のなかに封じ込められた性の倒錯
の感情
がこもり、
同性の人物にたいしてリビドーが固着しているとみなされる。
これもまたフロイトが認めるほかないとかんがえたものだ。

 
すると神経症の下にあまねく拡がる基盤は、
わたしたちがいままでかんがえてきた 「大洋」の波の動きだということになる。

そこでは乳(胎)児にとって
性の欲動を表象する乳首を吸う行為は、
同時に栄養を摂取する食の行為未分化のまま共時性の起源の状態にある。

そしてこの共時性は  成長して食と性が 分離したあともなくならず、
二重の層になって対応している。



この性と栄養摂取とのいつまでもなくならない共時性は、
内臓系からやってくる心の動き
体壁系につながる感覚の作用からできた織物に、
いわば普遍的な性の意昧を与えることになる。


別の言い方をすれば  
ヒトという類の性と栄養摂取の共時性が、
すべての 内臓植物神経的な動き
         動物系感覚器官の知覚作用とに
性的な意昧を与えている素因だということになる。



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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 変態性欲 窃視症、露出症、サディズムとマゾヒズム

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:27 am




たとえば窃視症露出症は、
眼の知覚作用に 共時的に重なった
眼の器官にまつわるエロス覚
過剰に不均質に充当されたものとみることができる。

また
サディズムとマソヒズムは、
体壁系に属する皮膚の痛圧感覚が、
エロスとして過当な備給をうけたものとみなせることになる。

これは内臓系についてもいえる。
たとえば
広義のヒステリー症を思いうかべてみれば、
口(腔)や肛門のような
總腸の上下の開口部にたいして
性的な器官の役割を過剰に背負わせる傾向が、
ある閲値を越えたばあいにおこるとかんがえることができる。



もっとこの言い方をおしすすめれば
愛と憎しみの情念や、 他者への親和と敵意の感情は、
内臓系とくに
心臓の高まりから生れる心の動き
に、
対象にむかってゆく性の欲動が重なった形
とみることができよう。




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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 異常論 一(3 同性愛の起源

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:27 am



 フロイトはさらにすすんで
あるゆる精神神経症には、
例外もなく無意識のなかに性的な倒錯の感情が含まれており、
同性にたいするリビドーの固着があるとみなした。

わたしたちはここでどんなことに直面しているのだろうか。
わたしたちがかんがえてきた順序に沿っていえば、
「大洋」の世界のなかの
表出(跳出)の結びつき方 の問題につきあたっているようにおもえる。


「大洋」は
経糸を内臓系の動きから跳出された心の動き として、
横糸を体壁系の感覚作用の拡がり として、
このふたつの糸から織られた波の拡がりにたとえることができる。
そしてその原型は
母親と乳(胎)児のあいだの 栄養の摂取と性的な関わり
から作られていることがわかる。


もし何らかの理由
乳児の無意識やその核のなかに 母親への
栄養の摂取(と同時に性の親和)にまつわる強く過剰な固着

が生れたとする。
この「何らかの理由」はもちろんよくわかっている。

  母親と乳(胎)児との関係で、
母親の無意識と意識の鬱屈や抑圧や屈折がある
ということが「何からの理由」を形づくっている。
この場合、母親の無意識が素因子であれば
「大洋」は
見掛けのうえで 手頃なリズムを反復する波の動きでありながら、
波の下では渦巻きや乱流や不斉なリズムの波が
混沌としている。  ただ表面からおしはかることができないだけだ。

この水面下の動きは 確実に乳(胎)児の無意識や
前意識にそのまま「写され」 また  「刷り込まれ」ているとみなすことができる。


乳(胎)児はたぶん 言葉を獲得してゆく過程とともに、
母親への過剰なエロス覚の固着をもつように成長してゆく。


この乳(胎)児が
幼児をへて前思春期にまで達したとき 無意識のなかで 
じぶんを母親と同一視することになり、
母親にそうされたかったのにそうされなかった欠如を、
じぶん白身を性の対象にして充たそうとする(ナルチシズム)か、
そうでなければ  じぶんに似たじぷん以外の同性を対象して
母親に願望したようなエロスを注ごうとすることになる。

これは性的な倒錯症のひとつの型をつくっている。



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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 異常論 一(4

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:28 am



また
母親から嫌悪を植えつけられた乳(胎)児は、
女性をすべて母親に似たものとして嫌悪と情愛をうけとり、
嫌悪を消去するために同性にその愛を転嫁しようとするにちがいない。

それは生涯にわたる女性からの逃避に結びつけられるとしても、
本人がその理由を知っているかどうかはまったく自身ではわからないといってよい。
これもまた倒錯症のべつの型をつくることになる。


わたしたちはここで、倒錯症のふたつの型を、いかにもそれらしく祖述している。
だが本質的にのみいえば、これらの異常は
前言語状態だけが水や空のように支配している
「大洋」の異変
に由来しているため、
ほんとうは言語で記述するだけの輪郭(規範)をもっていない世界
の出来ごとだといえる。


言語で記述すれば輪郭(規範)が目立ちすぎ、
単純化とはいえないが 萌芽の状態にある微細なニュアンスは
すべて省略されたもののように映ってしまう。
それでも
言語で記述したり解釈したりするほかに術がないため、そうしているだけだ。


もし言語を 夢の像とおなじように
圧縮したり、重複させたり、順序をアト・ランダムにしたりして使うことができるなら、この
「大洋」感情の異常な水面下の波立ちを記述することができるはずだ。
あとで言及できるかどうかわからないが、
分裂病者の言語活動は、それをやっているとみなすこともできる。




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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 異常論 二(1

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:29 am



                        (二)


よく知られるように
フロイトは
精神神経症の状態でのエロス覚の備給の異常や倒錯
乳幼児の性の振舞いのなかにみられる倒錯や異常に似たもの
あるいはそこに退行したものになぞらえた。

倒錯とか異常とか呼んでいいとすれば、乳幼児の日常の振舞いは、
すべて性的な振舞いと分離することができないし、またその振舞いは
すべて性として異常とみなくてはならない。

たとえば
おしゃぶり」の行為は、母親の乳頭をしゃぶって
乳汁を吸う行為や舌の接触感で乳房の形や触感を確かめる行為のヴァリエーションであり、
これによって距離感を認知し、
世界の輪郭を模索しているとともに、エロス覚としては
母親の乳房を男性器になぞらえ、舌と口(腔)によって性交の行為を代理している
と解釈することもできる。

フロイトは
当然
この乳(胎)児の行為を 心理的に 白体愛的(autoerotisch)なものとみなした。
ということは 「大洋」感情でいえば
心臓にまつわるエロス覚を 心臓の動きの表出(跳出)にもどしたこと
を意味するとかんがえたからだ。


また 乳幼児は
鰓腸のもうひとつの端の開口部である肛門を性器にみたて
性の感動を保つために大便を抑えて出さないようにしたり、
性の欲求の不満を表示するため大便をたれ流したりする。

また フロイトに従えば
乳幼児は  意識的にか無意識的にかひとつの性理念をもっていて、
栄養を摂取するために食べることで、
腹の開口部である肛門から赤ん坊(大便)が生れる
無意識の領域でかんがえていることを意昧している。



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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 異常論 二(2

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:30 am




  フロイトが乳幼児の性の特徴について考察したところには、
ふたつの創見が見つけ出せるといっていい。


ひとつは 六歳から八歳ころ幼児期健忘ともいうべきものが存在する
という指摘だ。

フロイトによればこの時期までに乳幼児は
たくさんの記憶の痕跡を蓄積しているにもかかわらず、うまく意識の注意をのがれて
抑圧の力で無意識のなかにしまい込んでいる。
これが健忘となってあらわれるのだが、
フロイトによれば大人のヒステリー症の健忘はこの幼児期健忘なしにはありえないことになる。


もうひとつフロイトの指摘したことは、
新生の胎児は「性的な激情の萌芽」を母親の胎内からもってくる
ということだった。
これは乳幼児期にすこし発達しては大きな抑圧力によってしぽませられる
そしてまたこの抑圧力は性の自然な発達によって突破されることを繰返す

この屈折した過程を蓄積することで、
乳幼児の倒錯や異常と呼んでいいような性の表出 は形づくられることになる。

  わたしたちがこの過程を 倒錯とか異常とかいうとき、
思春期に近づくにつれてはっきりとあらわれる男性と女性との特徴(性徴)を前提としている。

乳幼児には男性と女性との分離は存在しない
女の乳幼児のエロス覚はまったく男児的なもので、
男児にあらわれても女児にあらわれてもリピドーは男性的な本質をもっている。


また男性、女性という言い方をとらないとすれば
乳幼児は男でも女でも 性愛としてはおなじものだ
とみなしていいことになる。




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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 異常論 二(last

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:32 am



乳幼児はすべて肛門性愛をもち、また
男児も女児も 陰茎と陰核に、
いいかえれば男性器に 性感をもっている とみなせる。

わたしたちのいう「大洋」を基準にすれば その波動は
男性としての母親と 女性としての乳児によって
波動のリズムが織られてゆく。


この言い方からすれば、 男児であれ女児であれ
乳(胎)児は「大洋」のうえでは女性的で受動的であり、
この時期ははっきりと独自に取りだされるべき特色をもっている。

これがフロイトのいう
男児的な本質に転換
するには、どうしても
前言語状態から言語が獲得されてゆく過程 を必須の条件
だとみなくてはならない。

フロイトの幼児性欲の世界は
もうすこし緻密に細分化されてしかるべきとおもえる。

わたしたちはこの問題に何遍もぶつかることになる。





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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 異常論 三(1 言葉の獲得・概念の獲得 と性

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:33 am



                            (三)


  わたしたちはフロイトに釣り出されて

「大洋」的な世界 をいくらか無雑作に超えて、
乳幼児期の性的な振舞いの世界 にまで言及してきた。

ほんとうは
男性の乳児も女性の乳児も すべて女性的であり
同時に栄養の摂取についても
受動的
な世界がまず普遍的に存在し、
そこから、 男児と女児とに分化してゆく世界への転換 を考えにいれなければ、
乳幼児の性の振舞いの倒錯や異常に言及することはできないはずだ。

この転換を促すいちばん主な素因は、
乳(胎)児が言語を獲得してゆく過程 だとおもえる。

 そしてこの過程を
乳(胎)児から 乳幼児への 性的な備給の転換 に対応できると仮定すれば
「大洋」の世界が その天抹線で
概念」を対象として 性の備給を成し遂げる過程
 を思い描くことができる。


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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 異常論 三(2

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:34 am




ここで概念」というのは
体壁系の感覚器官がとらえた事物を、
空想によって同じ類に属する他の事物と結びつけて連合させること を意味している。


たとえば
乳幼児の眼がはじめにとらえた事物は、紙に描かれたバラの花であった。
おなじ眼があるとき庭の植え込みのひとつを指さして、
その木が紙に描かれたバラの花とおなじであると訴える。
また別の機会に 外出さきの公園でバラの木を見つけて、
それが 紙に描かれたバラの木 や 庭の植え込みのあいだに見つけたバラの木 と同一
だと認知して指さす。

そんなふうになったとき 「大洋」の波動は「概念」と出会い
「概念」を知るようになったことを意昧している。
ここでおぼろ気に  「大洋」の波頭は言語的な水平に接触する。


この過程は図式的にいえば、
身体的にみた男性の乳幼児と女性の乳幼児にとって、つぎのような過程に対応するといえる。


 男性の乳児  女性 から男性へ  (口(腔)から陰茎へ)
 女性の乳児    女性 から女性へ  (陰核から膣(腔)開口部へ)



この過程は、鰓腸の上部と下部における開口部
(*口と肛門)がもつ
栄養の摂取性の機能についてのあいまいな両義性解体し、
それぞれの 性器と 栄養を摂取する器官 とに 分離する過程 を意味している。


この過程はもっと別の言葉でいうこともできる。

栄養摂取と性の欲動とが 身体の内臓系でいちばん鋭く分離する 場所と時期 を 択んで、
乳児のリビドー言語的な世界のなかに圧縮され、また抑留される 
というように。




最終編集者 kusamura [ Thu Jul 09, 2015 4:05 pm ], 編集回数 2 回

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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 異常論 三(3 _last

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:36 am




フロイトは 
母親と乳幼児とのあいだにまたがる 「大洋」を起点とする世界について、
母親(その代理)こそが 乳幼児にとって
性的興奮と性感帯の満足の たえることなく流れる源泉だ

と述べたあと、つぎのように書いている。


 もしも母親が、欲動が心的生活全般に對し、すなわち、
 人倫的、ならびに心的な働らきのすべてに對してもつ、高い意昧をもっとよく理解したならば、 
 ともかく、この解き明かしをうけた後にも、自己を非難するようなことはしないであろう。

 母親が小児に愛することを教えるのは、母親としての課題をみたしているだけのことなのである。
 小児は勢力的な性的要求をもつた活動的な人間となり、その生涯において、
 欲動が人を驅りやるすべてのものを完達するような人間になるべきなのである。

 親たちがあまりに情が深くありすぎることは、もちろん、害をあたえるであろう。
 性熟を促し、そのために、小兒は「甘やかされ」てしまい、後年になつて愛を一時的に棄てるとか、
 または、わずかの愛で満足することができなくなるからである。


 小兒が、飽くことなく、両親の情愛を求めるような兆をしめすのは、後年の神経質の前兆の最たるものの一つである。
 また他面に、雨親の側としても、情に際限なくおぽれやすいような、紳経症素質の雨親はその愛撫によつて、
 小児が紳経症にかかりやすい素質を第一番に目ざましてしまうであろう。

 ともあれ、この例では、紳経症的な雨親にはその障害を小児に移す上に、
 遺伝よりも手つとり早い直接的な路を有していることが知られるのである。

                       (フロイド「性欲論」「対象の発見」懸田克躬訳)



「大洋」を起点とする世界にたいするフロイトのこの言い方は、
わたしたちの考え方の筋道に沿っていえば修正がいることになる。

「親たちがあまりに情が深くありすぎることは、もちろん、害をあたえる」
それは小児が 「甘やかされ」、大人になって(思春期以後に)愛を一時すてる場面にぶつかり、
わずかの愛で我慢しなくてはならなくなったとき困るからだ  
とフロイトはいっている。
だがそんなことはありえない

親たちが情愛が深ければ深いほど
「大洋」的な世界は輝かしくなるにきまっている
し、
乳幼児期にも思春期以後にも
愛の不調に耐えられる力能をもつにいたることは
疑いないところだからだ。

フロイトのこういう見解はどこからくるかといえば、ふたつあるとおもう。

ひとつは 乳(胎)児と母親とがつくる
前言語的な「大洋」を、ひとつのはっきりした輪郭のある時期として確定せずに、
幼児期とか小児期とかいう言い方のなかに包括するところから、
あいまいさを招きいれている。

そこで
小児期に「親たちがあまりに情が深くありすぎることは」、
じつは乳(胎)児期に「情が深く」できなかったことの、
ほとんど例外のない代償であることが考慮されないことになる。


いいかえれば
「大洋」の世界の波の下で、無意識が荒れていることに由来して、
乳(胎)児もまた成長がすすむにつれて
情が無かった代償をもとめて両親の情愛をどこまでもむさぼろうとしたり
両親の情愛の譲歩をどこまでも求めて病的(家庭内暴力)になったりするのだ
といっていい。


フロイトの見解にはもちろん、
当時のドイツ社会の西欧的な育児習俗の問題がからんでいるに相違ない。
だが習俗としてとらえても「親たちがあまりに情が深くありすぎること」が、
乳幼児に害を及ぼすことなどありえないといっていい。









最終編集者 kusamura [ Thu Jul 09, 2015 3:57 pm ], 編集回数 1 回

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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 四 (1性の分化-女児

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:36 am



                         (四)



 乳(胎)児から乳幼児の過程で女性の性愛は、
陰核から膣(腔)の開口部と移ってゆく。
わたしたちが述べてきた「大洋」の特徴からいっても、フロイト的な記述によっても、
この過程は一種の性転換 ともいえるだろう。


女性の乳(胎)児は「大洋」のなかでの母親とのかかわりでは受動的で女性的であった。
これは身体器官の特徴とかかわりなく、
男性の乳(胎)児も女性の乳(胎)児も一様に受身で女性的だという意味
においてである。


それゆえ厳密にいえば
フロイトのいう女性の小児の性愛
「大洋」の世界を脱した以後のエロス覚に属している。
そこでは女の乳幼児は男性的であり、
その性愛は陰核に集中されて始まってゆく。

性にかかわりなく
女性的で受動的な
この「大洋」の世界でも、
そのあとの陰核に性愛があつまる乳幼児期になっても
女児は母親に愛着してすごすことになる。
だから女児は
エロス覚が
陰核から 膣(腔)に移行するまえ
無意識とその核に、母親への過当な愛着 をかくしもっている。
このことに例外はないとおもえる。

いまこの時期の母親への過当な愛着
いいかえれば 母親の女児への過当な愛着屈折や挫折や鬱屈があったとすれば、
陰核期から腔(腔)期へ性愛が移ってゆく過程で、父親にたいするエディプス的な愛着が異常に深くなる

それはこの女児が 無意識やその核のなかにおし込めてしまったはず
母親への異常に深く屈折した愛着が、
無意識のなかから存在を主張していること を意昧している。

この前エディプス期における女児の母親への愛着
いいかえれば母親への深い屈折した愛着の存在が露出してくるのは、
この女児が思春期以後に神経症やパラノイアの病像に移ってゆくばあい
闘値を低くする素因でありうる。




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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 四 (性の分化 last

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:38 am





男児が 父親に敵意をいだく意識 を 露出するのは エディプス期に入ってからで、
前エディプス期には父親への反抗はあまり目に立つことはない。

だが 女性の乳幼児にとって、その時期にはすでに
父親は「うるさい競争相手」になる
とされる。これは
母親への愛着の深さや屈折の度合いによるものだといってよい。

フロイトは 乳幼児期の女児の母親への愛着が、
通り過ぎてしまった一期間(四~五歳まで)として過小評価できないことを見つけだしたとき、
ギリシャ文化の背後に、クレタやミケニアの文化を発見したとおなじように驚いた と述懐している。


だがフロイトはわたしたちが述べてきたのとは逆にかんがえた。
女性の乳幼児が 父親にたいして異常とおもえるほどの深い愛着を生じたばあい には、
かならずそれ以前に
母親にたいする愛着が、父親への愛着と同じ強さ、同じ情熱で存在していることを発見した、
というのが フロイトの述意であった。
そしてこの根源的な母親への愛着のなかに
意識的にか無意識的にかこもったまま
思春期以後に男性の方へむかおうとするときに、
神経症やパラノイアヘの傾斜をもつもの とかんがえた。

フロイトの考えたこと、そして発見したと信じたことは、
たぶんわたしたちの「大洋」の世界の波動の成り立ちと、
この世界が言語をどうやって獲得してゆくかの過程と深くかかわっている。

単純化していえば、
言語を成り立たせるまでにいたる過程で、
鰓腸系と泌尿系を混同させるエロス覚は、
言語のなかに収蔵されてしまう
ようにおもえる。

別の言い方をすれば
鰓腸系と泌尿系を混同しているエロス覚の表出(跳出)は、
「大洋」が 言語面を成り立たせてゆく源泉 の エネルギーにあたっている。


もっと別の言い方もできる。

「大洋」が 前言語の状態から 言語を形づくってゆく過程によって、
ヒトの乳幼児は一様に 精神神経症を 幾分かの度合でまぬかれてきた
というように。




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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 五 (宿命強迫

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:41 am



                          (五)


 わたしたちが宿命的なものとみなす性格の固定、生活行動の帰結、その反復のようなものは、
「大洋」期に第一次的には決定するものとかんがえられる。

 そして 
心身の活動がこの宿命的なものに帰結し、反復されるのを実感するとき、
やはりそうだったかというような認知をじぶんに繰返し納得させている。

そうかとおもうと猛々しく反復する帰結に抗って
この宿命的なものを超えようと願い、活動への復帰を繰返すことになる。

わたしたちは誰もが大なり小なり
このような宿命強迫のなかにいるといってもいい過ぎではない。

たとえば誰でも じぶんが異性を恋し、恋愛関係になったとき、
ふと気がつくと、いつもおなじような顔立ちの異性を択びかけていることに驚くとか、
いつもおなじような経過をたどって破局にいたるとか、逆に恋愛を成就するとか。
おなじパターンでいつも離反を繰返している友情とか、おなじパターンで自殺未遂を繰返す生涯とか。


この種の宿命強迫をどこかでじぶんの行為に認めたとき、
わたしたちは誰も強迫神経症とほとんど境界を接している
といっていいことになる。


そして強迫神経症を異常とし、
わたしたちの宿命強迫の認知をじぶんの運命につきまとうものとして許容し、
じぶんを納得させるばあいを正常とする根拠は、
ほんとうにつきつめてゆくと どこにもない というぺきかもしれない。




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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 五 (強迫神経症 と 反復を宿命的な強迫反復とみなすことの差

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:41 am




たとえば
じぶんが異性を愛し、行動すると、いつもおなじパターンを経て失敗する 
という認知があったとして、
確かに客観的にみてその通りだと確認することも、
それは主観的な思い込みにすぎないので、
客観的には違ったふうに観察できる と結論することも、
おなじように困難だといえよう


そうであれば、逆にわたしたちは
強迫神経症強迫反復を宿命的なもののように認知することのあいだに、
共通の素因を見つけ出すほうが妥当だという問題に直面している。
そしてこのばあい共通なものは、
わたしたちが考察してきた「大洋」の世界にもとめるほかないと、わたしならいいたい。

そうだとすると
強迫神経症反復強迫を宿命的なものの認知だとみなす者とのあいだに、
どんな相違があるのだろうか。

わたしの考え方では
この相違は 「大洋」の波動の表面の世界にはあらわれず、
たったひとつ 波の下の深層の相違にある としかいえないとおもえる。
その深層が 乱流や渦動や流れの渋滞で混溷(こん)としているか、 あるいは
波動の表面とおなじように平穏で静かなスムーズな流れをたもっているかが、
その相違にあたっている。

そしてその相違は 乳(胎)児に発祥するのではなく、
母親(その代理)に発祥するという意味で、もし反復強迫の循環とみえるなら
乳(胎)児の生涯にとって宿命的なもの と認知してよいようにおもわれる。



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(第四章)「異常論」~フロイト-性倒錯-母親と乳児 Empty 五(反復・宿命強迫 フロイト 

投稿 by kusamura Fri Jul 03, 2015 10:42 am





フロイトは
 「感情転移の際の態度や人間の運命についての観察に直面すると
 精神生活には、実際に快感原則の埓外に ある反復強迫が存在する
 と仮定する勇気がわいてこよう
 (フロイド「自我論」「快感原則の彼岸」井村恒郎訳)
                         と述べている。

たしかにフロイトのいう快感原則にも、かれのいう現実原則にも
埓外だとおもえるところで、宿命強迫は存在しているようにみえる。

ほんとうをいえば存在するかどうかを言語でいうことはできない
とするのが妥当なのかもしれないが。
ただ
「大洋」の前言語的な世界だけが
宿命強迫の謎をとく鍵にあたっている
から
 と、わたしにはおもえる。





                第四章 了

kusamura
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