4.V4野 (オリヴァー・サックス『火星の人類学者』より
kusamura(叢)フォーラム@phpBB3 :: 脳 :: 視覚について
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4.V4野 (オリヴァー・サックス『火星の人類学者』より
◎神経学者オリヴァー・サックスは視覚障害に関する話題をよく書きますが
学術的な解説より患者自身に寄り添った書き方により生き生きした内容になっている事が多いです。
V4損傷によって全色盲になった画家の話「色盲の画家」を取り上げます。
『火星の人類学者』オリヴァー・サックス 訳:吉田利子(ハヤカワノンフィクション文庫_2001年 原著1995年) (2015-4-21)
V4を含む視覚野各領域の図
fromhttp://neurologues.qwriting.qc.cuny.edu/fmri-scans-synesthesia-is-real/
[導入部の要約]
65歳の画家ジョナサン・Iは、1986年の1月に交通事故で脳しんとうを起こし、
「茶色の飼い犬はダークグレーにしか見え」ず「トマトジュースは真っ黒」「カラーテレビは白黒のまだらもようにしか見えない」
脳の損傷による全色盲(大脳性全色盲)と失読症になり、3月、神経科医オリヴァー・サックスに助力を求めて手紙を送った。
4月、手紙を読んだサックスは同僚の眼科医と共に、Iを診た。
全色盲になることは、カラー映画が白黒映画になるのとは違っていた。
視力はむしろ鋭くなり「ひとの輪郭は八百㍍も先から見える」のに
明るい陽の元では明瞭に見える愛犬が、影や草のなかに入ると「紛れて見えなくな」り、
運転していてると、影と地割れや溝と見分けがつかなくなって、ブレーキをかけたり急ハンドルを切ってしまった。
赤も緑も青も、単なる濃淡にしか、しかも不気味なコントラストのついた濃淡にしか見えなくなった画家。
妻の体もただの「灰色」でしかなく、性欲は失われた。...
オリヴァー・サックスのノンフィクションは、冷たい学術の対象として「患者」を「分析・判定」するのではなく
一種の共鳴力をもって人間として病を抱えた相手の心も汲み取っていくところに特徴があり、それが
彼の著作の魅力ともなっています。彼はそれを「ロマンティック・サイエンス」と言います。
しかしここでは彼の医学的・生理神経学的記述をメインに据えます。 ( 2015-4-22)
○まずサックスは、眼と色彩の関係に関する仮説の変遷を振り返るところから始めています。(以下は恣意的な要約)
17世紀中頃、ニュートンは、プリズム実験で分光すると色のスペクトラムが現れるところから、
様々に屈折する光成分のうちもっとも多く反射しているものが、色としてわれわれの目に届くと考えた。
(*この説だと、眼に全てのスペクトラムに対応する受容野がある、という事になります)
同時代の哲学者ロックは、ニュートンの物理的機械論的哲学に抗して、
人は機械的に光をそのまま反映するのではなく、外の世界を「感覚」として主観的に記録するとした。
19世紀初頭、トーマス・ヤングは(光の三原色説に基づいて)目には3種類の受容野があればよいとした(3色説1802→トーマス・ヤングの項参照)。
同じ頃、ゲーテは『色彩論』で、残像(例えば緑をずっと見てから白地を見ると補色の赤が視える)などの「視覚的幻」は「視覚的真実である」として、
色は人間と光の共同作業だと考えた。
50年後、ヘルムホルツが、当時忘れ去られていたヤングの3色説を甦らせ展開したので、ヤング-ヘルムホルツ仮説と呼ばれている。
また、ヘルムホルツは、科学界から無視されていたゲーテの色彩論も高く評価し、
色は単に光の波長の反映ではなく、明るい光が当たっているりんごの赤も陰の赤も「同じ赤」だ
という受容者側の”無意識”の「推論」「判断」が色の恒常性を保つとした。
ヘルムホルツと同時代の大化学者クラーク・マックスウェルも色覚異常に注目して研究していた。
1866年、色のついたリボンを、白黒フィルムの上に、三原色それぞれの色のフィルターを通して三枚の白黒写真を作り、
その白黒写真をそれぞれの原色フィルターを通してスクリーン上に重ねて投影した。
すると3つの白黒写真が投影されたスクリーンには正確な色リボンが再現された。
ヘルムホルツは脳の中でも同じ事が起きているのではないかと考えた。
約90年後の20世紀半ば、エドウィン・ランド(インスタントカメラ、ポラロイドの発明者,実験家,理論家)は、
同じことを写真2枚(撮影時にはそれぞれ赤フィルターと緑フィルター、投影時には赤フィルターとフィルターなし)でやって
2枚の白黒写真から「金髪、薄いブルーの瞳、赤いコート、青緑の襟(えり)、そして驚くほど自然な肌色」を再現させた。
それらの色の識別は、2枚の白黒写真の「なか」や分光されていない白色光や赤いフィルターといった「外界」で発現している訳ではなく
スクリーンを視ている「脳の中で組み立てられ」たものだった。
さらにランドは、幾何学的な四角形の抽象的な図形(似た画風の画家の名前をとって「モンドリアン図形」と呼ばれた(ページ中段の図A参照))
を使い、周囲の色の影響で、同じ色が異なった色に見える実験も行った。
これらの実験から、ランドは、人の目に映る色彩は、
光の物理的な波長だけで固有色を感受しているのではなく、 「網膜(レテイナ)と大脳皮質(コーテックス)とが何カ所かで連携して」色を生むという
「レティネックス」理論を作った。 (レティネックス実例) (2015.04.24)
ただし、ランドの手法は、光線の変化によってどう色が変わって見えるかを被験者に尋ねる、という「精神物理学」的なアプローチで、
解剖学的、神経学的なものではありませんでした。
*ここまでは色と光の違いについて「精神物理学」的な考えの変遷を述べた箇所を要約しました。実は完全な答えはまだ出ていないようです。
今の一般的な考え方は以下のサイト・ブログなど
・[size=10]光に色はついているのか 色が見える仕組み(2)(ブログ"色と光と")
・色の認識(Recognition of Color)(光と色の世界)など
光の3原色に基づき、視神経も3種類あればよいとするヤングとヘルムホルツの仮説は、実際に3種類の錐体(すいたい)細胞の発見されて裏付けられ、
色に反応しない捍体(かんたい)細胞も見つかり、現在の定説を形作っています。*3色型以外の人もいます。(4色型色覚), (5色型色覚)
(2015.04.25)
学術的な解説より患者自身に寄り添った書き方により生き生きした内容になっている事が多いです。
V4損傷によって全色盲になった画家の話「色盲の画家」を取り上げます。
『火星の人類学者』オリヴァー・サックス 訳:吉田利子(ハヤカワノンフィクション文庫_2001年 原著1995年) (2015-4-21)
V4を含む視覚野各領域の図
fromhttp://neurologues.qwriting.qc.cuny.edu/fmri-scans-synesthesia-is-real/
[導入部の要約]
65歳の画家ジョナサン・Iは、1986年の1月に交通事故で脳しんとうを起こし、
「茶色の飼い犬はダークグレーにしか見え」ず「トマトジュースは真っ黒」「カラーテレビは白黒のまだらもようにしか見えない」
脳の損傷による全色盲(大脳性全色盲)と失読症になり、3月、神経科医オリヴァー・サックスに助力を求めて手紙を送った。
4月、手紙を読んだサックスは同僚の眼科医と共に、Iを診た。
全色盲になることは、カラー映画が白黒映画になるのとは違っていた。
視力はむしろ鋭くなり「ひとの輪郭は八百㍍も先から見える」のに
明るい陽の元では明瞭に見える愛犬が、影や草のなかに入ると「紛れて見えなくな」り、
運転していてると、影と地割れや溝と見分けがつかなくなって、ブレーキをかけたり急ハンドルを切ってしまった。
赤も緑も青も、単なる濃淡にしか、しかも不気味なコントラストのついた濃淡にしか見えなくなった画家。
妻の体もただの「灰色」でしかなく、性欲は失われた。...
オリヴァー・サックスのノンフィクションは、冷たい学術の対象として「患者」を「分析・判定」するのではなく
一種の共鳴力をもって人間として病を抱えた相手の心も汲み取っていくところに特徴があり、それが
彼の著作の魅力ともなっています。彼はそれを「ロマンティック・サイエンス」と言います。
しかしここでは彼の医学的・生理神経学的記述をメインに据えます。 ( 2015-4-22)
○まずサックスは、眼と色彩の関係に関する仮説の変遷を振り返るところから始めています。(以下は恣意的な要約)
17世紀中頃、ニュートンは、プリズム実験で分光すると色のスペクトラムが現れるところから、
様々に屈折する光成分のうちもっとも多く反射しているものが、色としてわれわれの目に届くと考えた。
(*この説だと、眼に全てのスペクトラムに対応する受容野がある、という事になります)
同時代の哲学者ロックは、ニュートンの物理的機械論的哲学に抗して、
人は機械的に光をそのまま反映するのではなく、外の世界を「感覚」として主観的に記録するとした。
19世紀初頭、トーマス・ヤングは(光の三原色説に基づいて)目には3種類の受容野があればよいとした(3色説1802→トーマス・ヤングの項参照)。
同じ頃、ゲーテは『色彩論』で、残像(例えば緑をずっと見てから白地を見ると補色の赤が視える)などの「視覚的幻」は「視覚的真実である」として、
色は人間と光の共同作業だと考えた。
50年後、ヘルムホルツが、当時忘れ去られていたヤングの3色説を甦らせ展開したので、ヤング-ヘルムホルツ仮説と呼ばれている。
また、ヘルムホルツは、科学界から無視されていたゲーテの色彩論も高く評価し、
色は単に光の波長の反映ではなく、明るい光が当たっているりんごの赤も陰の赤も「同じ赤」だ
という受容者側の”無意識”の「推論」「判断」が色の恒常性を保つとした。
ヘルムホルツと同時代の大化学者クラーク・マックスウェルも色覚異常に注目して研究していた。
1866年、色のついたリボンを、白黒フィルムの上に、三原色それぞれの色のフィルターを通して三枚の白黒写真を作り、
その白黒写真をそれぞれの原色フィルターを通してスクリーン上に重ねて投影した。
すると3つの白黒写真が投影されたスクリーンには正確な色リボンが再現された。
ヘルムホルツは脳の中でも同じ事が起きているのではないかと考えた。
約90年後の20世紀半ば、エドウィン・ランド(インスタントカメラ、ポラロイドの発明者,実験家,理論家)は、
同じことを写真2枚(撮影時にはそれぞれ赤フィルターと緑フィルター、投影時には赤フィルターとフィルターなし)でやって
2枚の白黒写真から「金髪、薄いブルーの瞳、赤いコート、青緑の襟(えり)、そして驚くほど自然な肌色」を再現させた。
それらの色の識別は、2枚の白黒写真の「なか」や分光されていない白色光や赤いフィルターといった「外界」で発現している訳ではなく
スクリーンを視ている「脳の中で組み立てられ」たものだった。
さらにランドは、幾何学的な四角形の抽象的な図形(似た画風の画家の名前をとって「モンドリアン図形」と呼ばれた(ページ中段の図A参照))
を使い、周囲の色の影響で、同じ色が異なった色に見える実験も行った。
これらの実験から、ランドは、人の目に映る色彩は、
光の物理的な波長だけで固有色を感受しているのではなく、 「網膜(レテイナ)と大脳皮質(コーテックス)とが何カ所かで連携して」色を生むという
「レティネックス」理論を作った。 (レティネックス実例) (2015.04.24)
ただし、ランドの手法は、光線の変化によってどう色が変わって見えるかを被験者に尋ねる、という「精神物理学」的なアプローチで、
解剖学的、神経学的なものではありませんでした。
*ここまでは色と光の違いについて「精神物理学」的な考えの変遷を述べた箇所を要約しました。実は完全な答えはまだ出ていないようです。
今の一般的な考え方は以下のサイト・ブログなど
・[size=10]光に色はついているのか 色が見える仕組み(2)(ブログ"色と光と")
・色の認識(Recognition of Color)(光と色の世界)など
光の3原色に基づき、視神経も3種類あればよいとするヤングとヘルムホルツの仮説は、実際に3種類の錐体(すいたい)細胞の発見されて裏付けられ、
色に反応しない捍体(かんたい)細胞も見つかり、現在の定説を形作っています。*3色型以外の人もいます。(4色型色覚), (5色型色覚)
(2015.04.25)
最終編集者 kusamura [ Mon May 18, 2015 11:03 am ], 編集回数 1 回
V4野(2) (オリヴァー・サックス『火星の人類学者』文庫版 より)
オリヴァー・サックス『火星の人類学者』訳:吉田利子 ハヤカワノンフィクション文庫
◎ 続いてトピックのメインテーマである脳と視覚の関係に関する時代的認識の変遷を、著作から要約していきます。(p59~ 要約)
1884年、神経科医のヘルマン・ヴィルブラントは、同じ 視覚障害でも
「視野の大半が見えない者、色覚がほとんどない者、それに、形が認識できない者などがいること」から
「脳の第一次視覚野には、「光」と「色」と「形」を認識する 異なる視覚中枢があるのだろうと推測した」(部位の特定までは至らなかった)
「4年後、スイスの眼科医 ルイ・ヴェレ」が色盲に関連しているかもしれない場所を見つけた。
患者は60歳の女性で、脳の発作による左後頭葉の障害から右の視野が色を失い、灰色に見えるようになった。
死後脳をヴェレが調べてみると 「視覚野のごく小さな部分(紡錘回と舌状回)に異常がみられた」ため
そこに「色覚の中枢が見つかるだろう」とヴェレは考えた 。
舌状回紡錘状回
ヴェレの説は当時の定説と合致しなかったため「彼の観察は疑問視され、検査は批判され、検証には欠陥があると言われ」、
「解剖学的にも色覚中枢というものの存在余地はない」とされ、
「色覚中枢がなければ、独立した色盲もない」ので、以後”大脳性色盲”は神経学の問題ではないとされた。」
さらに、第一次大戦で銃弾で視覚野に損傷を負った兵士を、ロンドンの著名な神経科医ゴードン・ホームズ(ボディ・スキーマ-脳内の身体図式-という概念を初めて提唱した)
が調べ、視覚障害の症例200のうち、色盲だけの患者が一人もいなかったことで
「単独の大脳性色盲はあり得ない」ことが実証データによって証明された、というのが専門家間での常識になった。
(p66~)
「ロンドンのセミール・ゼキは生理学レベルで、すなわち麻酔をほどこしたサルの視覚野に微小電極を差し込んで、
色の刺激に対する神経の反応を測定することを試みた。
1970年代はじめ、ゼキは画期的な発見をした。 サルの脳の両極にある有線前野(V4と呼ばれる)という小さな部分が、
とくに色に反応するらしいことをつきとめたのである。」
この発見は、権威ある神経科医ゴードン・ホームズが、データで実証的に証明した、脳に色覚部位はない、という定説を
真っ向から否定するもので「神経学会を震撼させ」た。
「ゼキの反論しようがない優れた実験」が1973年に発表されると、人の色盲の症例が見つかりはじめた。
「1970年代はじめ、ゼキは、(*サルの)V4に波長には反応しないが色に反応する細胞があることを発見した」。
「V4のそれぞれの細胞には視覚の多くの部分に関する情報が(*V1の細胞からV2という中間構造を介して)入ってくる。
各波長の明るさV1にある波長に反応する細胞によって検知されるが、
(*サルの場合)V4にある色の記号化細胞によって比較されるか関連づけられて、はじめて色が感じられる。」
「色覚はほかの初歩的な視覚のプロセス」(動き、奥行き、形の認識)等と同じく、
「前提となる知識を必要とせず_神経学者のいう「ボトムアップ(*下位領域から上位領域への押し上げ伝達)プロセスによって得られるものらしい。」
「実際に、V4を電気的に刺激する実験を行うと、色の輪とそのまわりの暈(かさ)が「見える」。色の幻覚である。
「色を生みだす器官はV4」である可能性もあるが、「色自体は脳と心のほかのたくさんのシステムに信号を送り、
変換され、同時にそちらからも信号を受けとって影響される。
こうして、記憶や期待、連想、それに世界を共感できる意味のあるものにしたいという願望と 色を結びつける
統合がなされるのは、もっと高いレベルの働きによる。」 (2015.04.26)
*引用書の学術的部分のほとんどは"254~256 備忘録 「脳神経科医 オリバー・サックス」" の255:(さくらの読書スイッチ)に元文が引用されてます
※実はゼキの発見には異論もでてきて、まだ決着がついていないようです(2014年現在)※
1.ザキは、サルを使った実験で、色認識の専門部位としてV4を発見、報告したわけですが、
その後のサルV4研究で、色彩以外のいろいろな機能がV4(サル)に見いだされて、もう色専門領域といえないようです。
・"マカク属サルの第4次視覚野における色と傾きの処理にかかわる機能的な構造"谷川 久.2010
・"大脳皮質V4野の神経活動が微小奥行きの弁別を担う"塩崎博史,田辺誠司,土井隆弘,藤田一郎.2012
2,特に議論となっているのは、
ヒトでV4とされている部分は、サルのV4と同じなのか?ということです。
ヒトV4とされている場所には色判別機能が見あたらないという報告もあり、
サルV4と同じ機能を担う部位は別の場所にあるのではないか?
・2001_"人間の視覚野における「背V4」はどこにありますか?網膜、地形と機能の証拠"Roger B.H. Tootell & Nouchine Hadjikhani (タイトル-グーグル翻訳)
・2014.3「脳内の色のカテゴリエンコーディング」(グーグル翻訳)
「断固として色をエンコード脳の領域は、まだ確実に同定されていない。」論文アブストラクト(グーグル翻訳)
グーグル翻訳によれば、fMRIでヒトを調べると、色に対し
hV4(ヒトV4とされている領域)からかなり離れた「中前頭回」や小脳の一部が活性化した、と報告されてるようです。
他にも実験内容によって色々な部位が活性化した過去の論文にも触れているようです。
。
マカク猿のV4Vで報告されていたこと(レチノトピー)が、ヒトで調べたV4Vでは異なる、とも言っているようです。
・2014.9”人間のV4はどこにありますか?皮質折りたたみからHV4とVO1の位置を予測”
アブストラクト(要約)をグーグル翻訳で見た限りでは、解剖学的にhV4(ヒトV4)の位置を特定しようとする論文で 、
前年に別グループが行ったfMRIを使った精神物理学(Psychophysics)的なアプローチと合わせて
最近はV4とVO1(腹側V3の前方、V4の下)あたりに色認識と関わる領域があることは合意を得られ始めているような感じ印象です。
ここまで見てきたように、専門家間で広く認められた定説でもひとつの発見ですぐひっくりかえったりしますので、
今後どうなるかはわかりませんが、とにかく色の脳内処理は、色相や輝度などに応じて複雑にいろいろな部位が関わっているようで、
一筋縄ではいかないようです。
"モバイル"用wikiでは『視覚野』の項が分割掲載されているらしく「V4」の項目が独立していました。他の項目がない分読みやすいです。 →視覚野/5.V4
◎ 続いてトピックのメインテーマである脳と視覚の関係に関する時代的認識の変遷を、著作から要約していきます。(p59~ 要約)
1884年、神経科医のヘルマン・ヴィルブラントは、同じ 視覚障害でも
「視野の大半が見えない者、色覚がほとんどない者、それに、形が認識できない者などがいること」から
「脳の第一次視覚野には、「光」と「色」と「形」を認識する 異なる視覚中枢があるのだろうと推測した」(部位の特定までは至らなかった)
「4年後、スイスの眼科医 ルイ・ヴェレ」が色盲に関連しているかもしれない場所を見つけた。
患者は60歳の女性で、脳の発作による左後頭葉の障害から右の視野が色を失い、灰色に見えるようになった。
死後脳をヴェレが調べてみると 「視覚野のごく小さな部分(紡錘回と舌状回)に異常がみられた」ため
そこに「色覚の中枢が見つかるだろう」とヴェレは考えた 。
舌状回紡錘状回
ヴェレの説は当時の定説と合致しなかったため「彼の観察は疑問視され、検査は批判され、検証には欠陥があると言われ」、
「解剖学的にも色覚中枢というものの存在余地はない」とされ、
「色覚中枢がなければ、独立した色盲もない」ので、以後”大脳性色盲”は神経学の問題ではないとされた。」
さらに、第一次大戦で銃弾で視覚野に損傷を負った兵士を、ロンドンの著名な神経科医ゴードン・ホームズ(ボディ・スキーマ-脳内の身体図式-という概念を初めて提唱した)
が調べ、視覚障害の症例200のうち、色盲だけの患者が一人もいなかったことで
「単独の大脳性色盲はあり得ない」ことが実証データによって証明された、というのが専門家間での常識になった。
(p66~)
「ロンドンのセミール・ゼキは生理学レベルで、すなわち麻酔をほどこしたサルの視覚野に微小電極を差し込んで、
色の刺激に対する神経の反応を測定することを試みた。
1970年代はじめ、ゼキは画期的な発見をした。 サルの脳の両極にある有線前野(V4と呼ばれる)という小さな部分が、
とくに色に反応するらしいことをつきとめたのである。」
この発見は、権威ある神経科医ゴードン・ホームズが、データで実証的に証明した、脳に色覚部位はない、という定説を
真っ向から否定するもので「神経学会を震撼させ」た。
「ゼキの反論しようがない優れた実験」が1973年に発表されると、人の色盲の症例が見つかりはじめた。
「1970年代はじめ、ゼキは、(*サルの)V4に波長には反応しないが色に反応する細胞があることを発見した」。
「V4のそれぞれの細胞には視覚の多くの部分に関する情報が(*V1の細胞からV2という中間構造を介して)入ってくる。
各波長の明るさV1にある波長に反応する細胞によって検知されるが、
(*サルの場合)V4にある色の記号化細胞によって比較されるか関連づけられて、はじめて色が感じられる。」
「色覚はほかの初歩的な視覚のプロセス」(動き、奥行き、形の認識)等と同じく、
「前提となる知識を必要とせず_神経学者のいう「ボトムアップ(*下位領域から上位領域への押し上げ伝達)プロセスによって得られるものらしい。」
「実際に、V4を電気的に刺激する実験を行うと、色の輪とそのまわりの暈(かさ)が「見える」。色の幻覚である。
「色を生みだす器官はV4」である可能性もあるが、「色自体は脳と心のほかのたくさんのシステムに信号を送り、
変換され、同時にそちらからも信号を受けとって影響される。
こうして、記憶や期待、連想、それに世界を共感できる意味のあるものにしたいという願望と 色を結びつける
統合がなされるのは、もっと高いレベルの働きによる。」 (2015.04.26)
*引用書の学術的部分のほとんどは"254~256 備忘録 「脳神経科医 オリバー・サックス」" の255:(さくらの読書スイッチ)に元文が引用されてます
※実はゼキの発見には異論もでてきて、まだ決着がついていないようです(2014年現在)※
1.ザキは、サルを使った実験で、色認識の専門部位としてV4を発見、報告したわけですが、
その後のサルV4研究で、色彩以外のいろいろな機能がV4(サル)に見いだされて、もう色専門領域といえないようです。
・"マカク属サルの第4次視覚野における色と傾きの処理にかかわる機能的な構造"谷川 久.2010
・"大脳皮質V4野の神経活動が微小奥行きの弁別を担う"塩崎博史,田辺誠司,土井隆弘,藤田一郎.2012
2,特に議論となっているのは、
ヒトでV4とされている部分は、サルのV4と同じなのか?ということです。
ヒトV4とされている場所には色判別機能が見あたらないという報告もあり、
サルV4と同じ機能を担う部位は別の場所にあるのではないか?
・2001_"人間の視覚野における「背V4」はどこにありますか?網膜、地形と機能の証拠"Roger B.H. Tootell & Nouchine Hadjikhani (タイトル-グーグル翻訳)
・2014.3「脳内の色のカテゴリエンコーディング」(グーグル翻訳)
「断固として色をエンコード脳の領域は、まだ確実に同定されていない。」論文アブストラクト(グーグル翻訳)
グーグル翻訳によれば、fMRIでヒトを調べると、色に対し
hV4(ヒトV4とされている領域)からかなり離れた「中前頭回」や小脳の一部が活性化した、と報告されてるようです。
他にも実験内容によって色々な部位が活性化した過去の論文にも触れているようです。
。
マカク猿のV4Vで報告されていたこと(レチノトピー)が、ヒトで調べたV4Vでは異なる、とも言っているようです。
・2014.9”人間のV4はどこにありますか?皮質折りたたみからHV4とVO1の位置を予測”
アブストラクト(要約)をグーグル翻訳で見た限りでは、解剖学的にhV4(ヒトV4)の位置を特定しようとする論文で 、
前年に別グループが行ったfMRIを使った精神物理学(Psychophysics)的なアプローチと合わせて
最近はV4とVO1(腹側V3の前方、V4の下)あたりに色認識と関わる領域があることは合意を得られ始めているような感じ印象です。
ここまで見てきたように、専門家間で広く認められた定説でもひとつの発見ですぐひっくりかえったりしますので、
今後どうなるかはわかりませんが、とにかく色の脳内処理は、色相や輝度などに応じて複雑にいろいろな部位が関わっているようで、
一筋縄ではいかないようです。
"モバイル"用wikiでは『視覚野』の項が分割掲載されているらしく「V4」の項目が独立していました。他の項目がない分読みやすいです。 →視覚野/5.V4
V4野(3) (オリヴァー・サックス『火星の人類学者』文庫版 より)
全色盲になった画家についての補遺 (2015. 04.27~29)
オリヴァー・サックスはセミール・ゼキ(サルV4の発見者)に、この大脳性色盲という「異例の患者」のことで電話をかけ、相談した。
ゼキは興味をもち、すぐニューヨークまでやってきてI氏を検査するチームに加わった。
モンドリアン図を使った検査の結果、I氏の第一次視覚野に基本的な問題はなく、
視覚前野(とくにV4、あるいはその関連分野)が障害の原因だろうとチームは考えた。
しかし当時の脳検査「CAT(*CT?_引用者註)でもMRIでも異常は見つからなかった。」(p70~)
「当時の造影法ではV4の小さな異常を検出できなかったためか、
あるいは、構造上の異常ではなく、代謝異常だけだったためかもしれない。
あるいは、主な異常がV4自体ではなく、そこにつながる構造 (V1のいわゆる「ブロッブ」(*斑点 blob-色覚に関連するとされる) あるいは
V2の「線条領域」(*blobからの投射を受けV4その他へ投射する-”形態知覚異常と最近の話題”仲泊 聡.2003p81))にあったためとも考えられる。」と説明している.
生化学者フランシス・クリック[/color](DNA二重らせん構造の発見者のひとり。ノーベル賞受賞後、脳-特に視覚-の研究に転向)にもサックスは相談していました。
クリックは、 「ブロッブと線条皮質という小さな部分は代謝が非常に盛んで、ごく一時的な酸素欠乏にもきわめて傷つきやすいのではないか」
I氏は「一酸化炭素中毒」(事故による排気ガス漏れ、あるいは排気ガス漏れによる事故)による影響で色覚中枢に傷害が起きたのかもしれない、
とサックスに言いました。
結局、第一級の神経科医が、世界的に有名な研究者に相談しても、
ジョナサン・Iに対する有効な治療法は見つかりませんでした。(2015年現在でも無理でしょう)
しかし彼らはひとつだけ「現実的な助言」をすることができました。
ジョナサン・Iは「中間的な波長の光のときモンドリアン図形をもっとも明瞭に見ることができたので」
ゼキ博士の提案で、中間的な波長だけを通す緑のサングラスをつくり、
「I氏はとくに明るい日光のもとではこのメガネをかけるようになった。I氏は喜んだ。
色覚を回復することはできなかったが、コントラストの状態がよくなり、形や輪郭が見やすくなったからだ。」
「I氏は最初、自分の視覚的世界が忌まわしい、異常なものに変わってしまったと感じた」
「I氏は錐体で、また波長を感知するV1の細胞でものを見ているが、それよりも高次の色をつくりだすV4の細胞が働かない。
ふつうはV1がつくる像は、それ自体としては経験されず、すぐにより高次のレベルに送られてしまい、
さらに処理されて色の知覚になるので、わたしたちには想像がつかない。
V1の生(なま)の像は意識されないからだ。ところがI氏は、これを見ている。脳の障害のために、
色をつくるべき刺激が色を構築するまえのV1の不気味な世界、言ってみればどっちつかずの奇妙な、
色のあるともないともえいない世界に閉じ込められてしまったのだ」。(p74)[/color]
全色盲となった画家ジョナサン・Iは、一時、自殺まで考えたといいます。けれども時間の経過が彼の心境をすこしづつ変化させていきました。
「事故から三年ほどたったころ、イスラエル・ローゼンフィールドが、I氏の色覚を回復できるかもしれないと言った。
波長を比較するメカニズムは損なわれず、V4(あるいは、それと同等の部分)だけが損傷しているのだから、
少なくとも理論的には、ランドのいう関連づけを脳のほかの部分で行なえるよう
「再訓練」できるはずで、そうすればいくらか色覚が回復するのではないかというのである。
意外だったのはI氏の返事だった。
「いまでは世界をべつの見方で見ているし、調和のとれた完全なものと感じているから、
治るかもしれないといわれてもぴんとこないし、むしろ反感を覚えるという。
もう、色は以前の意味を失ってしまったので、色覚が回復しても,,たぶん、ひどく混乱するだろうし、
自分には理解ない感覚に当惑して、せっかくつくりあげた視覚的世界の秩序が乱されるだろう。
しばらく煉獄さまよったあげく、ようやく彼は-神経学的にも心理学的にも-色盲の世界に落ち着いたのだ」。
事故前のジョナサン・Iの絵 全色盲になって2ヶ月目の絵 事故から二年たった頃の絵(自分には見えない色を一色だけ使っている)
[絵は全てクリックで拡大(右クリック推奨)]
(from"Jonathan I -A true colorblind painter")
[color=darkgreen]「先天性色盲の患者クヌート・ノルドビーはつぎのように書いている。
色の物理学と色の受容体のメカニズムに関する生理学について徹底的に学んだが、
それでも色の真の性質を理解する助けにはならなかった。」 (p75)
「色についてのよく知られた現象」について記したあと、ニュートンは、感覚についての考察をやめてしまい
「どんな方式、あるいはどんな動きによって、光が心に色の幻を生み出すのか」
に関する仮説をたてようとはしなかった。
それから三世紀、依然としてそうした仮説は出されていないし、 この疑問には永遠に答えが出ないのかもしれない。 」 (p80)
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オリヴァー・サックスはセミール・ゼキ(サルV4の発見者)に、この大脳性色盲という「異例の患者」のことで電話をかけ、相談した。
ゼキは興味をもち、すぐニューヨークまでやってきてI氏を検査するチームに加わった。
モンドリアン図を使った検査の結果、I氏の第一次視覚野に基本的な問題はなく、
視覚前野(とくにV4、あるいはその関連分野)が障害の原因だろうとチームは考えた。
しかし当時の脳検査「CAT(*CT?_引用者註)でもMRIでも異常は見つからなかった。」(p70~)
「当時の造影法ではV4の小さな異常を検出できなかったためか、
あるいは、構造上の異常ではなく、代謝異常だけだったためかもしれない。
あるいは、主な異常がV4自体ではなく、そこにつながる構造 (V1のいわゆる「ブロッブ」(*斑点 blob-色覚に関連するとされる) あるいは
V2の「線条領域」(*blobからの投射を受けV4その他へ投射する-”形態知覚異常と最近の話題”仲泊 聡.2003p81))にあったためとも考えられる。」と説明している.
生化学者フランシス・クリック[/color](DNA二重らせん構造の発見者のひとり。ノーベル賞受賞後、脳-特に視覚-の研究に転向)にもサックスは相談していました。
クリックは、 「ブロッブと線条皮質という小さな部分は代謝が非常に盛んで、ごく一時的な酸素欠乏にもきわめて傷つきやすいのではないか」
I氏は「一酸化炭素中毒」(事故による排気ガス漏れ、あるいは排気ガス漏れによる事故)による影響で色覚中枢に傷害が起きたのかもしれない、
とサックスに言いました。
結局、第一級の神経科医が、世界的に有名な研究者に相談しても、
ジョナサン・Iに対する有効な治療法は見つかりませんでした。(2015年現在でも無理でしょう)
しかし彼らはひとつだけ「現実的な助言」をすることができました。
ジョナサン・Iは「中間的な波長の光のときモンドリアン図形をもっとも明瞭に見ることができたので」
ゼキ博士の提案で、中間的な波長だけを通す緑のサングラスをつくり、
「I氏はとくに明るい日光のもとではこのメガネをかけるようになった。I氏は喜んだ。
色覚を回復することはできなかったが、コントラストの状態がよくなり、形や輪郭が見やすくなったからだ。」
「I氏は最初、自分の視覚的世界が忌まわしい、異常なものに変わってしまったと感じた」
「I氏は錐体で、また波長を感知するV1の細胞でものを見ているが、それよりも高次の色をつくりだすV4の細胞が働かない。
ふつうはV1がつくる像は、それ自体としては経験されず、すぐにより高次のレベルに送られてしまい、
さらに処理されて色の知覚になるので、わたしたちには想像がつかない。
V1の生(なま)の像は意識されないからだ。ところがI氏は、これを見ている。脳の障害のために、
色をつくるべき刺激が色を構築するまえのV1の不気味な世界、言ってみればどっちつかずの奇妙な、
色のあるともないともえいない世界に閉じ込められてしまったのだ」。(p74)[/color]
全色盲となった画家ジョナサン・Iは、一時、自殺まで考えたといいます。けれども時間の経過が彼の心境をすこしづつ変化させていきました。
「事故から三年ほどたったころ、イスラエル・ローゼンフィールドが、I氏の色覚を回復できるかもしれないと言った。
波長を比較するメカニズムは損なわれず、V4(あるいは、それと同等の部分)だけが損傷しているのだから、
少なくとも理論的には、ランドのいう関連づけを脳のほかの部分で行なえるよう
「再訓練」できるはずで、そうすればいくらか色覚が回復するのではないかというのである。
意外だったのはI氏の返事だった。
「いまでは世界をべつの見方で見ているし、調和のとれた完全なものと感じているから、
治るかもしれないといわれてもぴんとこないし、むしろ反感を覚えるという。
もう、色は以前の意味を失ってしまったので、色覚が回復しても,,たぶん、ひどく混乱するだろうし、
自分には理解ない感覚に当惑して、せっかくつくりあげた視覚的世界の秩序が乱されるだろう。
しばらく煉獄さまよったあげく、ようやく彼は-神経学的にも心理学的にも-色盲の世界に落ち着いたのだ」。
事故前のジョナサン・Iの絵 全色盲になって2ヶ月目の絵 事故から二年たった頃の絵(自分には見えない色を一色だけ使っている)
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(from"Jonathan I -A true colorblind painter")
[color=darkgreen]「先天性色盲の患者クヌート・ノルドビーはつぎのように書いている。
色の物理学と色の受容体のメカニズムに関する生理学について徹底的に学んだが、
それでも色の真の性質を理解する助けにはならなかった。」 (p75)
「色についてのよく知られた現象」について記したあと、ニュートンは、感覚についての考察をやめてしまい
「どんな方式、あるいはどんな動きによって、光が心に色の幻を生み出すのか」
に関する仮説をたてようとはしなかった。
それから三世紀、依然としてそうした仮説は出されていないし、 この疑問には永遠に答えが出ないのかもしれない。 」 (p80)
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